●冒頭と0:31あたりのシーン・冒頭
・0:31あたりのシーン
- 宮沢賢治『春と修羅』序より一部抜粋
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
青い部分が0:31あたりのシーン、赤い部分が冒頭です。
▲『章題』とサブタイトルここからはすべてこの形式で統一されています。
『章題』は
Ⅰ~Ⅱがロベルト・シューマンの交響曲第1番「春」のそれぞれ第一章、第二章
Ⅲ~Ⅴが作品名や作品の一節
サブタイトルが
Emily Dickinson(エミリー・ディキンソン)の詩「I dwell in Possibility」
I dwell in Possibility –
A fairer House than Prose –
More numerous of Windows –
Superior – for Doors –
Of Chambers as the Cedars –
Impregnable of eye –
And for an everlasting Roof
The Gambrels of the Sky –
Of Visitors – the fairest –
For Occupation – This –
The spreading wide my narrow Hands
To gather Paradise –
『0 Adolf Böttger(アドルフ・ベドガー)の詩』O wende, wende deinen Lauf (Oh turn back, turn back your run)
Im Tale blüht der Frühling auf! (In the valley, the spring blooms!)
この詩の一番最初の文字「O」がない引用もあります。
その場合、画像の「O」は数字の「ゼロ」でしょうね。
私の引用だと、「おお」という意味合い(感嘆)の単語になるでしょう。
この詩を読んで、シューマンは交響曲第1番「春」を書いたそうです。
次のⅠとⅡが交響曲第1番「春」の表題であることを考慮すると、始まりにふさわしいタイトルですね。
ちなみに、画像の「T
hale」はスペルミスでしょうか…
・サブタイトル「I dwell in Possibility -」「私は"可能性のうち"に住んでいる」
この"可能性のうち"が以降に説明している"家"のことだと思います。
『Ⅰ Fruhlingsbeginn』- 交響曲第1番「春」の第1楽章 Frühlingsbeginn(春の始まり)
・サブタイトル「A fairer House than Prose -」「散文より美しい家」
『Ⅱ Abend』- 交響曲第1番「春」の第2楽章 Abend(夕べ)
夕暮れの街が映っていますね。
・サブタイトル「More numerous of Windows -」「窓がより多い」
Ⅲ 個別ルートⅢはOP映像を見る限り、4人のメインヒロインにそれぞれ1つずつの全部で4つあります。
HP見ると、メインヒロインは5人なんですが、藍は4人攻略後ということでしょうか。
しかし、OP見ると、6人(HPメインヒロイン5人+サブキャラ1人)なんですよね。
なお、交響曲第1番「春」の第3楽章はFrohe Gespielen(楽しい遊び)です。
個別ルートで楽しい遊び(意味深)
『Ⅲ Olympia』 稟ルート- エドゥアール・マネの「オランピア」
オランピア(絵画) - Wikipedia絵画作品。
映像も絵を描いているシーンなのでたぶん合っていると思います。
・サブタイトル「Superior - for Doors -」「扉は一層優れている」
『Ⅲ PicaPica』 真琴ルート- 作者不詳の「Vals Pica Pica」
合ってるか分からないです。
「ワルツ・ピカピカ」は別題「君の影になりたい」らしいです。
真琴に窓(かな?)の影が少しかかっています。
・サブタイトル「Of Chambers as the Cedars -」「杉のように数多ある部屋」
ちなみに、杉の花言葉は「君のために生きる」だそうです。
『Ⅲ ZYPRESSEN』 里奈ルート再び、宮沢賢治『春と修羅』の「春と修羅(mental sketch modified)」より
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲てんごく模様
(正午の管楽くわんがくよりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路めぢをかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃せいはりの風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素エーテルを吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
この「ZYPRESSEN」は日本語だと糸杉と訳され、その花言葉は
「死」「哀悼」「絶望」「正義の人」「永遠の悲しみ」「不死」「再生」
などがあるそうです。
・サブタイトル「Impregnable of Eye -」「目では捉えきれない」
『Ⅲ A Nice Derangement of Epitaphs』 雫ルート- ドナルド・デイヴィドソン『真理・言語・歴史』第7論文「墓碑銘のすてきな乱れ」
ドナルド・デイヴィドソン『真理・言語・歴史』 - 西東京日記 IN はてなたぶん、こっちの方だと思っているのですが、もう一つ検索で見つかったので挙げておきます。
- エリス・ピーターズ『納骨堂の多すぎた死体』
推理小説。
推理小説で
見てみたいものは「
truth(真実)」でしょう。
絵画は世界の一瞬のうつろい、その全てを描き出す。
The painting is existence near the truth of the world more than the world.・サブタイトル「And for an Everlasting Roof The Gambrels of the Sky -」「果てしなく続く屋根、それは空の屋根」
『Ⅳ What is mind? No matter. What is matter? Never mind.』「心(精神)とは何か---たいした問題ではない(物の数に入らない)。物質とは何か,---気にしてはいけない」
- 『ラッセル自伝』より
ラッセル自伝/第1巻第2章(青年期)12-13 - ,Bertrand Russellのページ交響曲第1番「春」の第4楽章はVoller Frühlings(たけなわの春)です。
つまり、最も盛んなところ。物語の最も盛り上がるところでしょうか。
えっ、まだ2章残ってるよ∑(O_O;)
・サブタイトル「Of Visitors - the fairest -」「訪れるのは最も美しい人たち」
次の章の『幸福な王子』に登場する天使のことでしょうか。
『Ⅴ The Happy Prince and Other Tales』- オスカー・ワイルド『幸福な王子』
幸福な王子 - Wikipediaこの幸福な王子が主人公のことでしょうか。
エロゲは基本的にヒロインたちを幸せにしますからね。
ただ、そうなると主人公くん、亡くなっていることになるんですが…
画像の背景を見るに幼少期の主人公と稟ですかね?
となると、この章は「過去」になるね。
交響曲第1番「春」は第4楽章までだから、Ⅳまでの「現在」が終わったんでしょう。
ちなみに、作中でも稟が読んでいます。
・サブタイトル「For Occupation - This -」「私の仕事は"これ"」
ディキンソンの詩だと、"これ"は次の章のサブタイトルを指しますが、ここでは幸福な王子の行いのことでしょうか。
『 』タイトルがないのですが、あえて挙げるなら
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.
「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」
- ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より
論理哲学論考 - Wikipediaでしょうか。
Ⅳ章のラッセルの自伝で語られる形而上学なんですが、この言葉は形而上学の終焉の告知の言葉としてたびたび引用されるそうです(詳しくは知りません)
もう一つ挙げておきます。
- 治家さとみ『題名のない詩』
この詩集に収録されている詩は全てタイトルがないそうです。
読み手のイマジネーションにゆだねる作りになっているみたいです。
ただ個人的には、『 』はただの空白ではないかと思っています。
Ⅰ~Ⅳが「現在」、Ⅴが「過去」なら、ここは「未来」に向かっていく内容ではないでしょうか。
ここから先はキミたちが作っていくんだ。
そして、それを後になってから読み返すときにタイトルをつける。
だから、今はタイトルがない。
という感じじゃないかな、と思っています。
・サブタイトル「The spreading wide my narrow Hands To gather Paradis -」「私の小さな両手を大きく広げ、楽園をつかみとる」
幸福な王子は天使によって楽園で永遠に幸福になったそうです。
■歌詞の考察OP「櫻ノ詩」
歌:はな / 詞:すかぢ / 曲:松本文紀
※この「櫻ノ詩」は歌詞が公式発表されていないので実際には異なります。走る 光の螺旋
吹き上がる音と言葉のエチュード
櫻ノ時を 奏でよう 始まりへ
風の筆 差す 真実 仮象
その力に身を任せよう 恐れなどいらない
葦(あし)が立つ この大地
櫻舞う瞬間を 閉じ込めた永遠こそ
私たちの意味そして意義だと
君は知るだろう
さあ 受け取るがいい
永遠の相(そう)を この櫻ノ詩の下
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